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認定NPO法人カタリバ (認定特定非営利活動法人カタリバ)

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vol.015

地方地域であり復興を目指す町。
被災地だからつくれる、
日本一大切なことが学べる
町づくりへの挑戦。

リクルートエージェント(現リクルートキャリア)で事業企画部門に在籍中に東日本大震災が発災。休職し、カタリバが運営する被災地の放課後学校コラボ・スクールを立ち上げ、一時復職するも、カタリバに転職して、現在は大槌町教育委員会に教育専門官として行政支援を担当。新卒で「企業」に就職、その後「NPO」に転職し、「行政」に出向と、カタリバ内で最も異色のキャリアを歩むディレクター。企業での事業経営の知識・経験を活かしながら、真の課題に向き合おうと現場を歩き、課題を読み解き政策に反映する。順風満帆に見える菅野の苦悩とは?

YUTA KANNO

教育行政支援

  • カタリバ経歴

    2011年9月 休職してコラボ・スクール大槌臨学舎の立ち上げに従事
    その後リクルートエージェント(現リクルートキャリア)に復職
    2013年4月入職 大槌臨学舎の拠点長として配属
    2017年4月 岩手県大槌町教育委員会の教育専門官として行政支援を担当
    行政・学校・地域を対話で繋ぎながら、教育行政が行うべきことを デザイン
  • 趣味

    読書

  • 好きな言葉

    熱意をもって身を捧げ、有意義な目標に向かって全精力を使い、たとえ失敗したとはいえ果敢に挑戦した人物である。その人物は、勝利も敗北も知らない臆病者たちとは一線を画している(セオドアルーズベルト)

    何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く。(高橋尚子)

24歳の冬。課題の前に身を置いて、
いちから挑戦することを決めた。

リクルートを辞めて、岩手県大槌町で働くことを決めたのはなぜでしょう?

菅野:

実は私の祖父母は陸前高田に住んでいたので東北は思い入れの深い土地です。
2011年3月11日、あの時は執行役員向けの会議の資料づくりに追われていました。ビルの27階にいたのでかなり揺れましたが、東北の被害状況は把握していなかったので、帰宅してテレビで流れる映像に愕然としたのを今でも覚えています。小さい頃何度も通ったあの町の風景が、津波に飲み込まれていく…すぐに現地に行こうと思いました。

とにかく自分にできることをやろうと思って、ボランティアに行く日々が続きました。ただ知れば知るほど深刻な課題が見えてくるのに、一時のボランティアにできることは限られる。次第に中途半端なことしかできない自分に苛立ちを覚えるようになって…

そんな時、カタリバの今村亮さんから「学ぶ場所を失ってしまった子どもたちのために、学習指導と心のケアを行う“放課後学校”を被災地で立ち上げたい。協力してくれないか?」と電話をもらいました。

すごいタイミングですね。

菅野:

電話をもらって一週間後には、有給休暇を取って現地に行き、放課後学校の必要性を確信しました。避難所にも仮設住宅にも学ぶ場所がないので、空き地のコンクリートに寝そべって勉強している子がいて。なにより、あれだけの災害の後でも子どもたちが前を向いて学ぼうとしている姿が、私には希望そのものに見えました。この子たちのために今何かしなければ、東北が、そして何より自分がきっと大きな後悔をすると思い、会社を退職して東北に行こうと覚悟を決めました。

でもいざ上司に話すと、初めは猛反対されて…まだ確かな実力もない若者だった私の将来を思ってくれた言葉でした。頭では分かっていても、東北に行くという決意は変わらない。当時の社長とも面談して、それまで存在しなかった休職制度を用意してもらいました。「この休職には前例がない。これはお前とおれの中での約束だ、必ず戻ってこい」と激励の言葉を頂き、9月から12月の4ヶ月間、放課後学校設立のために現地で奔走しました。

期限ぎりぎりの2011年12月13日に、公民館を間借りして放課後学校コラボ・スクール大槌臨学舎を開校することができました。

その後リクルートに復職してから、
2013年になってカタリバに転職して東北に戻られていますね。
どんな想いがあったのでしょうか。

菅野:

4ヶ月の休職期間、私の想いを尊重して気持ちよく送り出してくれた同僚や上司に、恩返しがしたいという気持ちで復職しました。でも、開校したばかりの大槌臨学舎のことも頭から離れない。金曜の夜行バスで東北に行き日曜に東京に戻るという生活を、当時通ってきていた中学生が高校受験を迎えるまで3ヶ月続けました。会社に恩返ししたいという気持ちはもちろん変わりません。でも、東北でもっと仕事をしたいという気持ちもどんどん大きくなって…

それは、大槌臨学舎の立ち上げの仕事が「他の誰かに替えのきかない仕事」だったことが大きいと思います。リクルートには本当に優秀な社員がたくさん揃っています。まだ成長途中の自分にしかできない仕事があるわけではありません。でも東北には、この学び舎ができなければ、子どもたちが社会に触れる機会も生まれることはないだろうし、出会ったことのないような人と出会う機会もないだろう。震災を受けたことをずっとハンディとして背負い続けるのではないか…

それを乗り越えるものをつくるのは、他でもない自分しかいないという使命感がありました。

会社を辞めて東北で自分にしかできない仕事に取り組む。
挑戦をしてみていかがでしたか?

菅野:

この環境に飛び込んでから、本当の意味で仕事の楽しさや大変さを知ったような気がします。当時自分はそうは思っていませんでしたが、会社員の時は誰かが作ったモデルに乗っかって高い給料をもらって、自分は社会で活躍していると錯覚していた気がします。自分で何かの価値を生み出しているわけではないのに…

仕事を通して、何か新しい価値をつくる人になりたいのであれば、課題の前に身を置かなくてはいけない。そうすることで初めて、新しい課題解決のモデルをつくることができると、東北に来て実感しました。被災地には解決しなければいけない課題が山積しています。そしてその課題は、他の誰でもないあなた(自分)が解決すべき課題ばかりです。ここで挑戦したからこそ成長できた部分がたくさんあると思います。

「ない、ない」ばっかり言っていても
仕方がない。
環境のせいにせず、
自分が変わることを選んだ。

そんな大槌臨学舎での校舎長を4年間務め、
2017年4月からは大槌町教育委員会で仕事をするという選択をされました。

菅野:

課題の前に身を置く、という軸で考えたときに4年では超えられない課題がたくさんあることに気づきました。どうしたらその課題を解決できるのだろうか、そんな焦燥感・危機感の中で、もう少し大きな構造から課題を捉え直せないかと思って、思い切ってコラボ・スクールを飛び出して教育行政、つまり教育委員会に入ることを選びました。

教育委員会ではどんな仕事に取り組んでいるのでしょうか。

菅野:

昨年度は町の教育大綱、つまりこの先5年の町の教育を担う基本計画づくりを行っていました。ただ計画を形にするだけでなく、カタリバでずっと取り組んできた当事者意識を育む対話の場づくりを中心に据え、教育に少しでも関心を持ってもらうためのプロセスを重視してきました。それがひと段落つき、今は地域と共にどう学校をつくるか・町にある唯一の高校をどのように盛り上げていくか、という仕事をしています。他には町の条例づくりの準備も進めています。どれも、納得解を見つけるために、「何が課題でどのように議論する場を設計するか」をデザインしていく仕事です。

町の子どもたちの未来に大きな影響を与える
重要なミッションを任されているんですね。
辛いことや、思うようにいかないことはないのでしょうか。

菅野:

それはもちろんありますよ。もしかしたら、東北に来て7年間、常に挫折していると言ってもいいかもしれません。

東京の大企業には本人たちが思っている以上に、リソースが潤沢に用意されています。人、モノ、金。すべて。でも地方には人もいないし、モノもないし、お金だってありません。そんな中で「これもない、あれもない」と文句を言い続ける期間が、私自身も実はありました。

正直、今も完全に切り替えることができているのか、まだ怪しい。でも、結局課題の前に身を置いて解決することを目標にするならば、リソースが十分用意されている状況なんてありえないんですよね。だからこそ、環境のせいにせずに何としてでも解決しなくちゃ、自分がここにいる意味がないなんて思っています。

目の前の課題を解決できていない時に、「これがない、あれがない、だからできない」というのは簡単です。でもこれって無意味な言い訳で、結局は自分が変わるしかない。

大槌に来たばかりの頃、ある先生に「お前、大槌背負えるのか?」と問われました。急にそんなこと言われて最初は面食らいました。でも「ないないばっかり言っているけど、本当に大槌のことを変えたいのなら、課題を全部背負ってそれでも尚、解決しようとするしかない」と言われて。その言葉をきっかけに、ないものを嘆くのは止めようと心に決めました。

地方地域であり復興を目指す町。
それを強みに、日本一の教育を
大槌町からつくる。

いま目標にしていること、
実現したいと思っていることはどんなことでしょうか。

菅野:

そうですね…本当に「地方地域」は必要だと感じますか?
私は正直、横浜で生まれ育ったので、地方が必要かなんて聞かれたら「必要ない」って答えていたかもしれません。でもいまは違います。

考えが違う人と一緒に何かをしようとする時には、必ず何かしらの衝突が起こります。衝突を起こさないようにするのは簡単です。関わらなければいい。企業であれば、そういう人をお客さんにしなければいい。でも地方地域ではそうはいきません。世代が違う人、地の人・よそ者、地域の中で住んでいる場所が違う人。そんな人達が、考え方が違うからといって、関わらないように生きることは不可能です。必ず何かを一緒にやらなくてはいけない状況にある。でも、それってものすごく貴重な経験の機会だと思うんです。

いま世界では、違いを認め合うことができずに起きている悲しい事件がたくさんあります。皆違いをどのように認めるのか、その中で自分をどういう存在と置くのかに悩み、葛藤している。であるならば、この地方地域はその違いを越えるために大切なことを、最も学ぶことができる場になるかもしれない。そんな風に思っています。
違いを越えてわかり合えた時、人はこの社会に生まれてよかったという幸せを感じることができると思うんです。

カタリバが事務局をしている「マイプロジェクト」(高校生が地域や身の回りの課題をテーマに自らプロジェクトを立ち上げ実行するPBL)という取り組みがあるのですが、これも自分がどういう存在なのか問う機会であり、周りの人たちが感じている自由や自分との違いにぶつかる体験だと考えています。行動してみると間違いなく壁にぶつかります。そうしたことに折り合いをつけて、前に進めていくことこそが最大の学びになるはずです。

そういう意味で、大槌町から日本一の教育がつくれると思っています。

大槌町は地方地域であり、復興を目指す町です。これが最大の強みになる。復興というのは、多様な意思決定をしていく必要があります。意思決定には必ず衝突が生まれます。違いを超えて納得解を見つけていくプロセスは学びの機会にあふれています。これを活かしきって、日本一の教育を大槌町からつくっていきたいと思っています。

目標を実現するために、何が必要だと感じていますか?

菅野:

行政の中に異質な存在がいた方が面白いだろうなと。異質な存在が入ってくると、「自分は何者か」という問いが組織の中に生まれます。行政の役割って何なのか。何が強みで、何ができないのか。そういった問いは多様性の中から生まれてくるものだと信じています。

なので、いまの仕事が面白くて、辞めたくないと感じている人ほどこの仕事に挑戦してほしいですね。今の仕事も十分面白いのだけれど、もっと自分には面白い解決すべき課題があるんじゃないか。そうやってうずうずしている人は、この日本一難解で、リソースがないこの課題を一緒に解決してほしいなと思います。

(おわり)

趣味は読書。平日の夜も休日も読書に使う時間は多い。

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